ずずぶろぐ

ていねいでない暮らし

映画『ドライブ・マイ・カー』は3時間の長尺でもラストシーンを見る価値あるよ

こんにちは、ずずです。

約3時間の映画です。トイレ対策だけはしっかりと。途中で席を立つ人が何人かいましたので。

それでは、少々ネタバレありで感想らしきものを書きます。

原作読んで予習して正解だった

映画を観る前に、Kindleでサクッと短編小説集『女のいない男たち』を読みましたが、これは大正解でした。

理由は2つあって、1つは映画の脚本の素晴らしさが体感できること。もう1つは映画のエピソードがとてもマニアックだったのです! 

というわけで、映画をより楽しむためにできれば『女のいない男たち』を事前に読んでから映画を観ることをおすすめします。とはいえ、カンヌの関係者が原作を読んでるとは思えません。読まなくても映画は楽しめますのでご安心ください。

村上春樹さんの小説は、まあエッセイでもそうなんですが、読後の余韻を残しておくというか、あとはご想像にお任せしますというスタンスなので、煙に巻かれてしまった感を持つことが多いのが不満と言えば不満です。小説では、渡利みさきという23歳の女性ドライバーがとても魅力的に描写されていて、短編では物足りないと感じましたが、映画ではみさきの生い立ちや生き様がしっかり表現されていたので満たされました(笑)

主人公の突然妻を亡くした俳優 家福(かふく)を演じるのは西島秀俊さん。俳優として実力があり信頼も厚い家福の思慮深さと内面の葛藤を静かに表現していて、さすがでした。家福を目立たせないことで、他の俳優さんの個性が引き立っていたと感じました。

さらに素晴らしいのは、みさき役の三浦透子さんで、みさきにドンピシャでしたね。小説では「ぶすい」と表現されていたので、その言葉、いつ出てくるかな〜って楽しみにしていました(笑)。

みさきは父を知らず機能不全家庭で育ち、母の死後、18歳で家を出て、当てもなく西へ西へと自家用車で移動します。たどり着いたのは、自分のルーツとおぼしき土地。そこで母から結果として授かった技能で生計を立てることになりました。

その土地で演劇公演を任された家福は、東京からマイカーでやってきて、ドライバーのみさきと出会います。また、そこでは高槻という若手俳優と再会し、家福は高槻を作品の主役に抜擢します。

高槻は、長身で外見が整った演技の才能がある若者ですが、傲慢で衝動性を抑制できず、事が起きても表面的な謝罪しかできない。家福に対する虚栄心もありました。恵まれない生い立ちと容姿の、人生を半ば諦めたようなみさきとは対照的でした。ここは脚本の面白さですね。

みさきは家福の運転手の仕事を通じて、演劇の世界や俳優たちと触れ合い、少しずつ変わっていきます。演劇制作が頓挫しそうになったとき、家福とみさきはある場所に行き、そこでお互いの傷がクロスします。みさきの母には、8才の女の子という別人格があり、みさきはその子がたった一人の友だちだったと言い、母の死は自分が原因と責め続けていた。家福の妻は娘の死後、性交中に創作でストーリーテリングするようになるも、目覚めるとその記憶は残っていなかった。その後、ストーリーテリングの相手は、自分だけではなかったことを家福は知ることになります。そして家福もまた、みさきと同様に、妻を死に追いやったのは自分と自らを責めていたのでした。

予告編とロードムービーについて

ベートーベンのピアノソナタテンペスト』の力強く切ないメロディが好きですが、予告編のテンペストは強すぎて引きました。映画の最初にこのメロディが入ると、鑑賞中ずっとテンペストが頭の中でヘビロテしそうで辛気臭くて嫌だったのですが、いい意味で裏切られました。

この作品は一種のロードムービーらしいのですが、ロードムービー好きの自分はそうは感じられませんでした。理由はみさきの運転が上手すぎて、移動中に事故がなかったからだと思います(笑)

ドライブ・マイ・カーの意味するところ

『ドライブ・マイ・カー』という題名がラストで輝きます。

人を癒すのは人、人を成長させるのも人。未来は拓ける。

 

またね。