こんにちは、ずず(zuzu)です。
昨日、映画監督スティーブン・スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』の鑑賞記録をブログに残しました。
そして答え合わせ的に、大好きな映画評論家の町山智浩氏の解説動画を視聴しましたが…
うーー深い。
スピルバーグを史上最高の映画監督と讃えつつ、映画史からアメリカの世相、音楽まで含蓄がものすごい。
おまけに、スピルバーグに1回インタビューをしたことがあるという、経験値の高さ。
さらに、そのときのことを『フェイブルマンズ』の解説に引用していました。
スピルバーグは勉強もスポーツも苦手な少年で、体格は小柄で怖がり、家に帰れば両親の仲は険悪で、きょうだいは妹が3人で遊び相手にならず、映画しか行き場所がなかった、つまり消去法で残ったのが映画だと町山氏は力説しています。
ご自身ももしかして?と勘繰ってしまいますが(笑)
確かに、スピルバーグが長身のイケメンスポーツマンだったら、カメラは手にしていなかったかもしれませんね。
ユダヤ系っていう立ち位置も、実際ビミョーそうですし。
映画制作って繊細でマニアックでしょうからオタク向きなのかもですが、大衆の賞賛を得てマネタイズするとか、作品に芸術性を持たせるには特別な才能が必要ですよね。
上の動画では、疑問が解決できてスッキリしました。
なぜ、‘スピルバーグ家’ではなく、’フェイブルマン家’なんだろうって、動画を視聴するまで全く分かりませんでした。
なんて鈍感なんだろう。
存在がよく分からないベニーという男性が、後々意外な形で関わってくるとは…
『フェイブルマンズ』は家族の深部を描くため、103歳の父親を見送るまで映画にできなかった物語だそうです。
スピルバーグは両親のことを思いやりながら、ずっと心に温めてきたのでしょうね。
'地平線'の件は、町山氏のツイッターを拝見して驚きました。
私は単純に映画制作の技術上のアドバイスだと理解していましたが、真のメッセージは違いました。
どんな人生を歩むか、それは自分で決める、ということですね。
別に王道の人生を選んでもいいけど、映画を作るならその道を選んではいけない。
このように様々なエピソードに隠喩が込められていると、ストーリーを追うだけの鑑賞では、重要なメッセージを受け取るのは難しいですね。
同じくツイッターで、『フェイブルマンズ』のテーマは'映画というものの恐ろしさ'だと言っていて、えーって。
私は家族の物語としか感じなかったんですけど。
でも、今考えると、ノスタルジックな家族の物語と見せかけながら、映像の恐ろしさも含めて、やはり'映画づくりは子ども時代に学んだ'ということを伝えたかったのでしょう。
映画評論家って、その作品の背景やあらすじ、見どころをネタバレにならないように、いいところも悪いところも自分の言葉で伝えつつ、その映画を鑑賞したいと思わせる仕事なんだろうなー。
私は昨日、映画の感想のようなものを書きましたが、考察がここまでプロと被らなかったのは、ある意味誇らしいです(笑)
これからも感じたことを、つたない自分の言葉で書いていきたいと、気持ちを新たにしました。
特に、理解できなかったときや、つまらなかったことについては、正直に語っていこうと思います。
またね。