こんにちは、ずず(zuzu)です。
『毒家族に生まれて 〜エルヴィス・プレスリー一族を孫の代まで呪った母と息子の相互依存〜』というタイトルのネット記事に関して考えたことシリーズ、その4になります。
”妻プリシラへの依存”で考えたこと
エルヴィスが西ドイツでの兵役中に14歳のプリシラを見初め、任務を終え帰国した後、プリシラをアメリカに呼び寄せます。
この記事では、エルヴィスはプリシラの父に"自分のお金でプリシラを一流のカトリック女子高を卒業させること""父親ヴァーノンの元から通学させること"を条件に、交際を承諾させたとありますが、私は”父親ヴァーノンの元から通学させること”の意味がわかりませんでした。
映画『エルヴィス』では、ヴァーノンはグレイスランドに住んでいたはずです。
が、なんとヴァーノンは妻グラディスの死後、再婚していたのでした。
グラディスが亡くなったとき、ヴァーノンはまだ42歳だったのです。
そんな新婚家庭に息子の許嫁がやってくるとは、大迷惑だったとお察ししますが、実際はどうだったのでしょうか…
この記事で、私の妄想もあながち間違ってはいないかも、と感じたのは、
(グラディスの死後)生きる意味を失った彼は、まるで母の代わりとでも言うかのように翌年、駐在先の西ドイツでひとりの少女に執着します。
というくだりです。
エルヴィスが恋に落ちたのは揺るぎない事実ですが、無意識に母の代わりとなる女性を求めていたと思うのです。
同年代の女性にどれだけ言い寄られても振り向かなかったと思われるエルヴィスが、プリシラという少女に心を奪われたのは、スレていない、自分より決して早く逝ってしまうことはないであろう生命力に惹かれたような気がします。
失礼を承知で書きます。
エルヴィスの恋は、たまたま通りかかったペットショップで、愛くるしいトイプードルの仔犬と目が合い、運命を感じて衝動買いしたようなものではなかったかと。
我が家に連れて帰って家族にしたい、という強い思いがエルヴィスに芽生えたのではないかと考えてしまうのです。
出会いから8年後、エルヴィスとプリシラは正式に結婚しますが、プリシラが未成年であったことを考えても、結婚までの期間は長かった。
なのに、結婚式でのエルヴィスの表情は穏やかで、心からの笑顔です。
結婚式だけでなく、プリシラに送るエルヴィスの視線は、いつもほころんでいます。
その表情を見るたび、エルヴィスはプリシラのことを本当に大切に思っていたことが伝わってくるのです。
それはまるで、成長したトイプードルが愛おしくて、見せびらかしているような無邪気な笑顔です。
一人娘のリサマリーが産まれて数年後、ふたりの間に亀裂が入りました。
原因はプリシラの不倫で、相手はエルヴィスの空手講師とされています。
記事にもありますが、離婚に関してエルヴィスは特に抵抗しなかったようですね。
飼い犬に手を噛まれたような、情けなさと無力感がエルヴィスを支配してしまったのでしょうか。
子どもにも恵まれ、何不自由ない贅沢な暮らしをさせていたのに、なぜ?と思ったことでしょう。
プリシラは離婚の原因を「外の世界が見たくなったのよ」と語った記事を読んだことがあります。
グレイスランドという王国に連れて来てくれたのはエルヴィスという男性だから、グレイスランドの外へ連れて行ってくれるのも自分を愛した男性というシナリオは、必然であったと私は思います。
離婚後はそれぞれが夫や妻という役割から解放され、リサマリーの親という共通の役割だけが残ったことにより、婚姻中より良好な関係を築いていたことには救われる思いですが、なんとも切ないですね。
離婚により、プリシラはエルヴィスのお母さんに昇格したのかもしれません。
またね。