こんにちは、ずず(zuzu)です。
だいたひかる著『生きるために、捨ててみた。』から断捨離を学んでいますが、本編は前回で終わり、残すところ2回となりました。
今回は、あとがきについて語らせてください。
”おわりに”
本書のあとがき部分になります。
2016年に乳がんになって、2019年に再発、2020年には、骨に血液が十分に流れなくなる骨頭壊死の診断を受け、2021年に不妊治療再開、妊娠と、だいたさんの近年5年間は濃い人生だったそうです。
絶望を振り切るようにスタートした片づけ生活。改めて最後に思うのは、私は単にモノに付随した楽しい思い出を捨てられなかっただけではない、ということ。もっと突き詰めれば、私が本当に執着していたのは、健康で子供を持つ可能性にもあふれていた、もう戻れない自分だったかもしれないということです。一つ一つのモノにつまった思い出を一つ一つ棚おろししていく作業は、まさにこれまでの自分と向き合う時間でした。
家に連れて帰ってきてしまったけれど生かしきれなかったモノへの罪悪感や、自分の心の穴を埋めるように買ったモノに対する小さな後悔。それから、なぜがんになってしまったのだろう、なぜ子供をもっと早く産めなかったのだろうといった大きな後悔まで。捨てるという行為は、ありとあらゆるダメな自分に直面するとても苦しい作業。だけど、決して心が痛むことばかりでもありませんでした。
捨てると決めて迷いがなくなると、胸がすっとして心が軽くなる、それは過去の自分と訣別する作業だから。ダメな部分を一つ一つ吐き出して、良い所を一つ一つ積み重ねていく。すると、心のモヤが晴れて満たされていく。片付けとはいわば、自分という人間を取り戻す作業なのかもしれませんね。
私にとっての”よくなりそうなこと”は片づけでした。だけど、その片づけですら、3歩進んで2歩下がる牛歩状態のときも。それでも、えっちらおっちら、「地道が一番の近道」だと信じてやっていくしかないんですよね。
過去は変えられないけれど、未来は自由自在。片づけをすれば、部屋は確実にきれいになる。自分とちゃんと向き合えれば、頭と心がクリアになる。見通しがよくなれば、必ず目の前の道が開いていく。未来には、きっといいことが待っている。そう、今日も信じてー。
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あとがきは、生きるために断捨離をしただいたさんの、ちょっと感傷的だけど、心からの
言葉だと思います。
なので、本書からの引用多めになりました(笑)
特に響いた部分は太字にしました。
断捨離をする過程で、自分が何に執着している(いた)のかを知る。
これは、潜在意識を顕在化することにもなりますが、だいたさんは健康だった過去の自分に執着していたかもしれないと自分で気づいたのですね。
思い出の品を一つ一つ、残すか残さないかを判断する作業では、かっこ悪い過去の自分と対峙しなければならないので、精神的にとても苦しい。
けれど、過去の自分にツッコミを入れておもしろがったり、幼い頃から続くキャラクターへのまぎれもない情熱を改めて感じたりして、自分を愛おしく感じたそうです。
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私の執着って何だろう。
まだわかっていないということは、自分との向き合いかたが足りていないのだと思います。
過去の自分を認めた上で今を生きなければ、断捨離してもすぐに散らかってしまいそう。
過去にはこだわっていないつもりですが、近いところでは老犬のこと、遠いところではピアノのことなど、そういえば結構執着しているわ(笑)
いやだーー
”過去と他人は変えられない”とよく言いますが、人生の本質をついた言葉ですよね。
変えられないものに対してクヨクヨイライラムシャクシャしても仕方ない。
おっと、今気づいたのは、使いもしないモノをたくさん買った自分を、かばう気持ちがあるのかもしれないということ。
モノだけでなく、終えることができなかった通信教育とか、モノにならなかった各種おけいこごとに関しても。
要は、無駄にお金を使った自分が情けなくて、認めたくないのかもしれない。
ダメな自分と向き合うのが断捨離とはいえ、難しいですね。
いつにも増して自分語りで、まとまりのない文章になってしまいましたが、いいこともありました。
断捨離で自分と向き合ったことで、だいたさんがキャラクターへの揺るぎない情熱を感じたように、私はキッチュでレトロ風のカワイイものが好きだということがわかりました(笑)
子どものころ好きだったサンリオの影響でしょうか?
これからも趣味の方向がぶれないように軌道修正しつつ、好きなモノが映える空間づくりに励んでいきたいと思います。
またね。