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【映画/本】映画『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』(2020年)

 

こんにちは、ずず(zuzu)です。

Netflixに加入したのは、映画『ヒルビリー・エレジー』を観るためでした。


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原作を読んで、映画があるならぜひ観たいと思いました。

Netflix様々です。

 

映画は、本の著者であり、映画の主人公であるJ.D.ヴァンスが、イェール大学のロースクール在学中の、夏のインターンの面接を受ける前日と当日にスポットが当てられてたものです。

インターン面接の前日の会食中に、J.Dの姉リンジーから電話が入ります。

母親が薬物で入院するも、すぐに引き取らなければならないが、姉の家では受け入れできないので、J.Dに泣きを入れてきたのでした。

映画は現在と過去の回想が交錯する構成のため、1回目の鑑賞では頭がこんがらがりました。

本を読んでいない人が映画を観て、どこまで理解できるかなと思いつつ、本のエピソードと重ね合わせるように鑑賞しました。

2回目の鑑賞では、細部を確認することで、感情移入できました。

 

映画は、緑濃い山あいにある古い民家を取り巻く、自然の情景から始まります。

ここがJ.Dの母方の祖母のケンタッキー州の実家です。

小さな畑を耕し、あとは家畜を飼育するくらいしか生計を立てる術がないような山地に定住したヒルビリー

スコッチ=アイリッシュは移民の時期が遅かったため、商業や農業に適さない山間部へ行くしかなかったと言われています。

祖母は同郷の祖父と、妊娠をきっかけに駆け落ちのような形で故郷を後にしました。

この決断があったからこそ今の自分があると、J.Dは祖父母に思いを馳せています。

 

J.Dは母親の薬物の問題や、感情の起伏が激しく精神が不安定で、明らかな男性依存などに振り回されながら思春期を迎えます。

母親の恋人ケン(本では韓国系アメリカ人)の家に住むことになったときは、それを拒みましたが同居せざるを得ず、飼っていた犬とは別れることになりました。

そしてしばらくすると、ケンの息子やその仲間と悪事に手を染めることになるのです。

ネタバレにならないように書きますが、この件は本のエピソードが効果的に引用されていて、脚本の面白さを感じました。

仲間のひとりが、自分が仕事を辞めたのは、同じ会社に勤めていた妊娠中の彼女がクビにされたからだと憤ります。

彼女はつわりがひどくて仕事ができなかったからだと主張しますが、それは違いますよね。

体調が悪くて出勤できないなら、あらかじめ会社に連絡するのが常識であり、本の中には雇い主からもそうするよう指導されていたと書かれていました。

と、私は声を大にして言いたい(笑)

 

ママウ(J.Dの母方のおばあちゃん)は、J.Dは母親と一緒にいるのがいいという考えを持っていましたが、ケンの家は環境が悪すぎると、自分の家に引き取りました。

非行が表沙汰になってようやく、です。

J.Dは祖母との同居を喜びなからも、当初は反抗的な態度をとっていました。

しかし、貧しいながらも孫を優先し、厳しくも愛情豊かな祖母の期待に次第に応えるようになり、勉学に励みます。

本の中でも、祖母と暮らした時期が一番落ち着いていたと語っていました。

子どもは親と生活するのが当然ですが、子どもに悪影響すぎる親もいます。

あまりに早く親から引き離すのは難しいところですが、子どもが不適切な親と暮らすのは嫌だと主張したときには、周囲の大人は迅速に、真摯に対応する必要があると思います。

 

J.Dの恋人(現在の妻)のウシャはインド系の美人で、聡明な女性でした。

J.Dが翌日に予定されているインターンの面接に間に合うよう、ミドルタウンからの夜通しの運転を電話で励まし続けます。

そこで初めてJ.Dはウシャに、母親が薬物依存者だと告げ、生い立ちを話し始めます。

祖父母はトラック1台でケンタッキーからオハイオに来たというと、ウシャは自分の父親もカバン1つで(アメリカに)やって来たと応えるシーンが心に沁みました。

芸能やスポーツなど一芸に秀でていない移民が、アメリカン・ドリームを成し遂げるためには、勉強するのが一番の近道で、実現性が高い方法だということでもありますね。

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ママウを演じたグレン・クローズは、アカデミー助演女優賞にノミネートされています。

品性に欠けるが賢いヒルビリーばあちゃんの演技、私はすばらしいと思いました。

アカデミーでは、メイク&ヘア賞にもノミネートされているので、ヘアメイクの技術も多分にあったのですね。

ですが、ゴールデンラズベリー賞の候補にもなっていました。

作品自体に評価が分かれるところなのでしょう。

一説によると、リベラルなハリウッドを意識してヒルビリー色を抑えたらしく、そこが中途半端だったのかもしれません。

 

この作品を観て、結局アメリカはネイティブアメリカン以外はみんな移民じゃん、って改めて感じました。

最近は、アメリカ人で気になる人がいると、’この人何系?’と調べたり想像するのがクセになっています。

またね。