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ていねいでない暮らし

【本/推し】『ELVIS What Happened?』第9章の感想など<その4>

こんにちは、ずず(zuzu)です。

『Elvis:What Happened?』第10章の感想などを書いています。

レッド・ウェストは、かつてプレスリー家が抱えていた生きづらさを語っています。

エルヴィスの母グラディスは、自分を犠牲にしてエルヴィスに尽くしていました。

私に言わせると、それはある意味'セルフ・ネグレクト'ですが、レッド・ウェストは、グラディスの'美しく勇敢なストイックさ'(下手な直訳ですいません)を、決して忘れることはないと言っています。

ちょっと違うけど、清貧とか滅私奉公とでも言うのかな?

グラディスは自分の人生にはこれからもいいことは起こらないと覚悟しているようでしたが、エルヴィスにはチャンスがやってくるようにと、尽力しました。

エルヴィスは後年、他人に関心を示さなくなった一方で、絶えずグラディスの自己犠牲を敏感に感じとり、グラディスが向き合った苦難を思い起こしていたようです。

エルヴィスは成功して、女性たちにたくさんの贈り物をしたけど、それ以上にグラディスにプレゼントしたかった。

だけど、彼女はもういない。

たぶんこれが、エルヴィスが過剰なほど気前がよかった理由ではないかと、レッドは考えています。

 

エルヴィスの父ヴァーノンにも夢はあったが、語られることは滅多になかったそうです。

自分を取り巻く厳しい人生に期待できないとき、ヴァーノンはたくさんビールを飲んだとのこと。

決して大酒飲みではありませんでしたが、人生に絶望したとき、度を超えた飲酒をしました。

また、若きエルヴィスは、ヴァーノンの勤務先の人物を反面教師として、たまの例外を除いて、お酒を飲みすぎることは滅多になかったそうです。

 

エルヴィスは自分の複雑さを受け入れていました。

エルヴィスは乱暴な街に暮らし、乱暴な住民がいて、乱暴な学校に通っていましたが、自分はそうではなかった。

エルヴィスはスポーツ刈りの男たちに囲まれていたけど、自分はそうではなかった。

もし、エルヴィスがニューヨークやボストンなどの大都市で生まれていたら、適合していたかもしれませんが、1950年代のメンフィスは、人と違っていたい人間に寛容な街ではなかったそうです。

エルヴィスは、"周囲の男と同じようになれないのなら、他の誰かになってやる"と、自分自身に言い聞かせているようだった、とレッドは語っています。

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プレスリー家の生きづらさは、ヴァーノンやグラディスの生きづらさとエルヴィスのとでは、全く異なりますね。

ヴァーノンとグラディスの生きづらさは、生まれながらの貧しさに起因するものだったと思いますが、エルヴィスはそうではありません。

住んでいる地域において、理想もしくは一般的とされる生き方から外れてしまうと、生きづらさを感じてしまうのは、どの時代の、どこの場所であれ同じだと思います。

高校を卒業するまでのエルヴィスは、ある意味でずっとマイノリティとして生きてきたとしたら、トラックの運転手になって見た目も性格も明るくなったのは、学校という狭い集団から出たからかもしれません。

…などと、どーでもいいことを考えてしまったのは、レッドがこんなことにわざわざ言及していたからです。

またね。