こんにちは、ずず(zuzu)です。
昨日の続きで、”貧乏白人(プア・ホワイト)”について、思うことを書いていきますね
ナンシー・ケリガン襲撃事件と映画化
突然ですが、40代後半から上の世代は、記憶にあるかと思います。
1994年2月に開催されたリレハンメル冬季オリンピックの直前の1月に起きた、ナンシー・ケリガン襲撃事件は衝撃的でした。
フィギュアスケート個人女子のアメリカ代表の座を争っていたナンシー・ケリガンが何者かに脚を殴打され、後日ライバルのトーニャ・ハーディングの元夫が逮捕されます。
その一部始終を、トーニャの生い立ちを含めて映画化したのが、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(2018年)でした。
かつてのスキャンダラスな事件が映画化されたことに驚き、映画館に足を運びましたが、ストーリーは想像とは全く異なり、トーニャへの同情を誘うものでした。
トーニャの周囲には、まともな人間がいなかったのです。
彼女のコーチだけは常識人だったのかもしれませんが。
トーニャは母ひとり、子ひとりの家庭に育ちましたが、母親は身体的・心理的虐待を行う毒親そのもの。
トーニャは恋をして母親から逃げるように家庭を持ちますが、優しかった彼はDV夫に豹変。
それでもトーニャはスケートに打ち込みますが、事件に巻き込まれることになります。
貧しい白人がいると知った
当時の報道では、この呆れた事件は、プア・ホワイトの下品で無教養の女が短絡的に企てたものとして、被害者のナンシー・ケリガンを中産階級のお嬢様として対比させているものがありました。
そうした報道から、アメリカにはプア・ホワイトという社会階層が存在することを知ったのです。
アメリカでホームステイをすると、ステイ先の当たりハズレが極端だと聞きます。
ハズレの家庭の多くは、お金目当てのプア・ホワイトなのかもしれないと思っていました。
一時話題になった代理母なども、そういった家庭の女性が多いのかもしれません。
映画の中で、トーニャの母親がプア・ホワイトかどうかは私にはわかりませんでしたが、元夫やその仲間の属性は多分そこだと感じました。
スポーツの世界で功績があっても、付き合う人間が変わらないと、結局足を引っ張られてしまうということだったのでしょうか。
価値観を変えなかったエルヴィス
エルヴィス・プレスリーは白人貧困層出身のスーパースターですが、そこから抜け出そうとはしませんでした。
スタッフを幼なじみやいとこで固めて、尊属を呼び寄せ、グレイスランドで共同生活を営み、地元から出ようとはせず、ニューヨークやハリウッドの社交界とは一線を引いていたようです。
エルヴィスはエンタメの世界で大成功を収め大金が入るようになったことで、貧困から脱出しました。
しかし、それだけではプア・ホワイトから脱出したことにはならなかったのですね。
経済的に潤うことよりも、安定した収入の下で生活習慣や意識を変えることのほうが、大事なことだったのではないでしょうか。
有名になり世間に認められることは、相応の人と付き合うことができるパスポートを手に入れたことでもあるのに、エルヴィスはそのパスポートを使うことはなかったように思います。
エルヴィスは意識高い系の人たちとの関係がわずらわしく、居心地のいい人間関係だけを求めたのかもしれません。
そんなエルヴィスをプア・ホワイトとして軽蔑する人がいたとしても、エルヴィスは全く気に留めることはなかったのでしょう。
エルヴィスのそういった意識の低さが、プリシラやリンダが”彼は決して変わろうとしなかった”と匙を投げた要因ではないだろうかと勝手に想像しています。
またね。