ずずぶろぐ

ていねいでない暮らし

【推し】推しの音楽センスにあやかって

こんにちは、ずず(zuzu)です。

図書館で借りたエルヴィス関連本について、まだまだブログに取り上げたいので、本をいったん返却したうえで、その場で借り直しました。

今日は再度『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』を参考に、エルヴィスの音楽性について考えていきたいと思います。

(前略)かくも大きな影響力と持続する人気の秘密の陰には、エルヴィスの並外れた音楽的才能があったことは言うまでもない。コロンビア大学音楽専攻のグレゴリー・サンドウズ教授によれば、「エルヴィスの声の音域は著し広く、バス、バリトン、テナーの全領域にわたっている。これはクラシック音楽、ポピュラー音楽を通して極めて珍しいことだ」という。しかし、エルヴィスの音楽を真に偉大なものにしているのは、音域の広さだけではなく、それぞれの歌にその歌の心を歌い上げる表現力だった。かすれ声のシャウトから、引きずるようなうめき、なめらかに弾むようなテナー、甘い伸びやかなバリトン、そして美しいファルセットまで、人々の心を捉える音楽的フィーリングを持っていたことにある。それが革命的な新しいサウンドから、伝統的な民謡まで幅広いレパートリーを可能にし、人種や性別、年齢を問わずに多くの人々を引きつける理由だった。(後略)

 株式会社角川学芸出版発行 前田絢子著『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』(2007年)より引用

音域の広さと表現力がずば抜けていた

まさにおっしゃるとおりです。

エルヴィスは広い音域を持っていたため、様々なタイプの曲を歌いこなすことができました。

しかも、声量があり、よく通る。

では、歌唱で一番重要とされる音程の正確さについてどうかというと、私は音域の広さと声量が、それを凌駕していると感じています。

表現力については、エルヴィス自身が何よりこだわったポイントではないでしょうか。

語りかけるように、叫ぶように、踊るようにリズミカルに。

思いきった抑揚をつけ、様々な思いや願いを歌に託していました。

エルヴィスは専門的な音楽教育を受けたことがなかったため、楽譜が読めなかったようですが、そのことが結果として有利に働いたような気がします。

楽譜を見て歌うことができる、楽器をプレイできるのは、単なる技術です。

楽譜が読めなければ、曲は耳で聴いて感じとるしか方法はありません。

そこからどう表現するかが音楽の全て。

楽譜を読めなかったことで、固定観念にとらわれることがなかったとも考えることもできます。

 

 

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楽譜が読めても、正確さだけを求めない

私は一応、楽譜が読める側の端くれです。

子ども時代に習っていたピアノは、機械のように正確に弾くことを求められていました。

そう思い込んでいただけもしれませんが、実際、楽譜どおりに弾かなければこっぴどく叱られました(体罰あり)。

幸いエレクトーンは、レッスンでは楽譜どおりに弾いていれば、表現の自由度は高いです。

ピアノ時代の反省から、エレクトーンは独りよがりでいいから、とにかく気持ちを込めて弾きたいと思っていました。

実際、エレクトーンのレッスンでは、強弱をしっかりつけて、調子リズムに乗って弾くとお褒めの言葉を頂戴するので、とにかく楽しいんです。

 

先日のレッスンで、9級の『ホール・ニュー・ワールド』を久しぶりに先生の前で弾いたとき、先生がすごく褒めてくれました。

新エレクトーン・レパートリー 9級

新エレクトーン・レパートリー 9級

  • 作者:-
  • ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス
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自分としては???だったのですが、思い当たるのは、サビの部分でやり過ぎくらいにネットリと弾いたことです。

特に、[E7onG#]の三連符のところは、こぶしが効いてまるで演歌(笑)

元歌を聴いてみると、意外なほどさらっと伸びやかに歌い上げていて、まさにザ・ポピュラー音楽でした。

どうやら日々の練習で、zuzu流に変化していたみたいです(笑)

たまには原点に立ち返って、変なクセがついていないか確認するのもアリですね。

このまま突っ走っていいのかわかりませんが、エルヴィスがどの曲もエルヴィス風に歌ったように、私のエレクトーンも自分の個性を出して弾いていきたいと思います。

 

またね。