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ていねいでない暮らし

【本/推し】サンレコードのエピソードで考えたこと

こんにちは、ずず(zuzu)です。

今日も私の推し、エルヴィスについて書いていきますよ。

『エルヴィスの真実』で気になっていたこと

先日読んだ、ジョー・モスケイオ著『エルヴィスの真実 ゴスペルを愛したプレスリー』で引っかかっていたことがありました。

著者がエルヴィスについて、憶測ではあるものの比較的強めに主張していたのが、ひとつはドラッグのこと、もうひとつはエルヴィスがサンレコードにレコーディングに訪れたエピソードについてでした。

1953年、ゴスペル歌手を目指していたエルヴィスは、ゴスペルのカルテット、ブラックウッド・ブラザーズがスポンサーとなって、若く有望な歌手を育てるために結成したカルテット、ソングフェローズのオーディションを受けたそうです。

 しかしそんな中、エルヴィスは、ユニオン・アベニューという通りにあるサン・レコードのスタジオにふらりと立ち寄り、「マイ・ハピネス」と「心のうずく時」の二曲のレコーディングを行っているのです。なぜエルヴィスがレコーディングを行ったのか、その動機については正直なところあまりはっきりしたことが分かっていません。今までの定説は、母の誕生日プレゼントのためではないか、というものです。しかしながら、レコーディングが四月のグラディスの誕生日よりもだいぶ後の1953年の夏に行われたことを考えると、エルヴィスは母親の「誕生日プレゼント」を口実にして、サン・レコード社のオーナーであるサム・フィリップスが行ったオーディションを受けたのではないかと推測もできます。

 その一年後、エルヴィスは最初のレコード契約を交わし、スーパースターへの道を歩み始めることになるのです。エルヴィスがソングフェローズの一員となる可能性はこれで断たれました。エルヴィスは、ソロで仕事をしていく決心を固めたからです。もしタイミングが少しでもずれていたら、そしてエルヴィスがプロのゴスペル歌手となる志を変えないでいたとしたら、彼の運命はどうなっていたのでしょう。私たちはただ想像することしかできません。

 いのちのことば社フォレストブックス発行 ジョー・モスケイオ著『エルヴィスの真実 ゴスペルを愛したプレスリー』(2016年)より引用

現在はサン・レコードは、観光スポットになっているようです。

私が先日視聴した、サン・レコードで撮影された動画でも、”エルヴィスがお母さんの誕生日プレゼントにすると、レコーディングにやって来た”と紹介されていました。

エルヴィスが意を決してサン・スタジオを訪問した日は、サム・フィリップスは不在で、対応した女性がエルヴィスに目を留めたということでした。

お母さんへのプレゼントはたぶん口実

その後、前田絢子著『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』を読んで、サン・レコードのエピソードは決して偶然ではなく、エルヴィスが自発的に行動した結果だと確信しました。

 (前略)1952年初め、ブラックはエルヴィスに、自分がよく知っているサム・フィリップスのところに行ってパーソナル・レコードを作ってみるよう勧める。フィリップスは、メンフィスのユニオン・アヴェニューに小さなスタジオを経営していた。そこでは、主としてリズム&ブルースのレコードを制作していたが、そのほか、四ドル払えば誰でもレコードを作ることができるサービスを提供していた。エルヴィスは、ブラックの言葉を心の奥深くにしまって、なかなか実行に移そうとはしなかった。内気だったせいもあったが、それよりも自分にはまだ十分に準備ができていないと感じていたからだった。サムの録音スタジオで歌うことは、スタジオのコントロール・ルームにいるサムに自分の歌を聴かせることであり、エルヴィスにとっては重要なオーディションの機会のように思われたのだ。エルヴィスは、ここでバツ印を食らいたくはないと思った。(後略)

 株式会社角川学芸出版発行 前田絢子著『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』(2007年)より引用

引用文中の”ブラック”とは、エルヴィスより10歳年上で、当時すでにカントリー・バンドで活躍していたビル・ブラックのことで、後にエルヴィスのベーシストを務めた人物です。

『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』には、”お母さんの誕生日プレゼント云々”についての記述は一切なく、エルヴィスにとってサン・レコードで歌うということは、オーディションを受けることとイコールであったと書かれています。

エルヴィスは生来、慎重で思慮深い性格なのでしょう。

そんなエルヴィスも、高校を卒業してトラックの運転手などを経験したことで、歌手という職業に就きたいという気持ちが抑えられなくなったのだと思います。

そして本音は、コーラスグループの一員としてゴスペルを歌うより、シナトラ?(例えるべき人物がわからないので仮にシナトラとしました)のような流行歌手になりたいという気持ちが勝ったのではないかと想像します。

いろんな著者のエルヴィス本を読んでいきたい理由

確かにサン・レコードの側に立ってみると、エルヴィス青年が「お母さんの誕生日に歌を録って、レコードをプレゼントしたい」とやって来たのは事実です。

歌わせてみると光るものがあったので、連絡先を聞いておいた。

それも事実です。

ただ、ひとつの情報だけでなく、様々な立場の人のフィルターを通したエルヴィスをたぐり寄せると、自分だけのエルヴィス像が少しずつ形成されて、ドキドキします。

なので当面、エルヴィス本やエルヴィス関連のネット検索は止まられそうにありません。

4ドルのビジネスモデル

ところで、サン・レコードの功績は素晴らしいです。

エルヴィスを発掘したこととは別に、4ドルでレコーディングサービスを提供していたことが、です。

フィリップスは、メンフィスの黒人ミュージシャンたちへの社会貢献としてこのサービスを続けていたとされていますが、本心ではスター歌手を掘り出したかったのではないでしょうか。

お金儲けというより、音楽スタジオを経営する者の使命であり、夢ですね。

フィリップスの口癖は、

「黒人のような声と感覚を持った白人がいたら大儲けできる」

だったそう。

それが、エルヴィスだったのですね。

 

またね。