ずずぶろぐ

ていねいでない暮らし

【エレクトーン】『イエスタデイ・ワンス・モア』で考えたこと

 

こんにちは、ずず(zuzu)です。

前回は、エレクトーンの13回目のレッスンで9級の『美しく青きドナウ』が合格となり、8級の『イエスタデイ・ワンス・モア』を通して弾いたことを書きました。

今日は、日本で人気の『イエスタデイ・ワンス・モア』を弾いて、いろいろ考えたことについて綴ります。

 

カーペンターズは、10代から好んで聴いていましたが、ボーカルのカレン・カーペンターが1983年に亡くなったときは、まだカーペンターズを知りませんでした。

しかし、カレンの死により"拒食症"という言葉が日本で広く知られることになったことは、鮮明に覚えています。

先生ずるい!

話は変わって、2021年に長く勤めた職場を辞めた私は、自宅の断捨離を始めました。

断捨離の途中、1977年に小学生の私が参加した、ピアノ教室の発表会のプログラムが出てきたのです。

幾度かの引っ越しを経ても生き残ってきた古いプログラムですが、そこには私にとって衝撃的な事実がありました。

発表会で先生が『イエスタデイ・ワンス・モア』を模範演奏していたのです!

そこから45年後、難易度は違えど、生徒が同じ曲を弾いているという…

そこに私は怒りを覚えました。

ずるい先生、自分だけ洋楽のポピュラーを弾いて。

この発表会では、中〜上級者の生徒はクラシックと当時の流行歌(初期のユーミン太田裕美伊勢正三などのフォークソングが多い)を2曲発表したようですが、下手っぴな私が弾いたのは、おそらく先生が選曲したバッハ。

記憶にない曲で、動画でどんな曲かを確認しましたが、それでも全く聞き覚えがない。

いや、バッハもいい曲たくさんありますよ。

だけど、小学生が発表会で弾くには、地味すぎる曲なのでは…

この発表会に参加した生徒は総勢59人。

週1日のレッスンとして、1日最低10人はレッスンしていたということですね。

発表会に出ない未就学の子も大勢通っていましたから。

先生はレッスンだけでも大変なのに、2年に1回の発表会の準備がどれほど大変だったかは、自分が大人になったからこそ想像できます。

でもやっぱり、レッスンにクラッシック以外の音楽を取り入れてほしかったな、と少々恨み節。

音大やピアニストを目指している子はクラシックオンリーで厳しくてもいいと思いますが、私のようにそうでない子は、親や本人の希望を聞いた上で、楽しいレッスンに切り替えてよかったと思うのです。

どうせほとんどの生徒は、遅かれ早かれ教室をやめていくのだから、将来にわたって音楽に親しむ素地を形成するのが、町のピアノ教室の役割じゃないかな。

ピアノの発表会のプログラムを断捨離

話を断捨離に戻して。

音楽CDはほとんどを断捨離しましたが、カーペンターズのCDは1枚残してありました。

ベビロテしたベスト盤。

このCDは”今は残す”としましたが、発表会のプログラムはシュレッダーにかけました。

過去に執着するのは終わりにしよう。

エスタデイ・ワンス・モアは歌の世界だけにして、昨日は振り返らず、今に集中して、今日を大切に生きていきたいから。

 

ブログのエレクトーンのレッスン記事が、今日で現在進行形になりました☆

これからは、気ままにエレクトーン日誌を書いていきますね。

またね。